宮本 百合子 作
読み手:堀江 令子(2025年)
斜向いの座席に、一人がっしりした骨組みの五十ばかりの農夫が居睡りをしていたが、宇都宮で目を醒した。ステイションの名を呼ぶ声や、乗客のざわめきで、眠りを醒されたという工合だ。窓の方を向いて窮屈に胡座をくんでいた脚を下駄の上におろしながら、精力的な伸びをした。二人づれの国学院の学生がその時入って来て、座席を物色した。車内は九分通り満員だ。二人はその農夫の前えに並んでかけた。
農夫はやがて列車が動き出すと、学生に話しかけた。
「学校は東京ですかい?」
「ええ」
「あなた方の学校にも、支那の留学生がいますか」
ちょうど漢口事件のあった後であった。訊かれた学生は互に一寸顔を見合わせるような素振りをし・・・
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