山本 周五郎 作
読み手:西村 文江(2025年)
何月ぶりかに来た若い客が、迷わずに来たといって自慢そうな顔をした。
「途中でききましてね、あのお宅は垣根を作りましたかというと、いや元のままですといって、その人はにやにやしましてね」などと、さも賢こそうに自分もにやにやした。
わが家には垣根がない、ひと並べ灌木がぼさぼさ植わっているだけである。家も北方へひっ傾がって(持主の大橋さんは佐佐木茂索氏の前夫人の母堂であって、このまえ「ひっ傾がって」と書いたらすっかり怒られてしまったが、これは持主の責任ではなく、専ら店子である私の責任であります)ときに寝ていて月をながめられるという風流な家を、風流なままに住みこなしている。私はこの家が好きだし、近ごろでは訪客も馴れてあんまり迷わなくなった、・・・
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