森 鴎外 作
読み手:凧野 頓太(2016年)
鍋はぐつぐつ煮える。
牛肉の紅は男のすばしこい箸で反される。白くなった方が上になる。
斜に薄く切られた、ざくと云う名の葱は、白い処が段々に黄いろくなって、褐色の汁の中へ沈む。
箸のすばしこい男は、三十前後であろう。晴着らしい印半纏を着ている。傍に折鞄が置いてある。
酒を飲んでは肉を反す。肉を反しては酒を飲む。
酒を注いで遣る女がある。
男と同年位であろう。黒繻子の半衿の掛かった、縞の綿入に、余所行の前掛をしている・・・
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