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泉 鏡花

貴婦人

読み手:宮崎 文子(2018年)

貴婦人

著者:泉 鏡花 読み手:宮崎 文子 時間:31分53秒

   一

 番茶を焙じるらしい、いゝ香気が、真夜中とも思ふ頃芬としたので、うと/\としたやうだつた沢は、はつきりと目が覚めた。
 随分遙々の旅だつたけれども、時計と云ふものを持たないので、何時頃か、其は分らぬ。尤も村里を遠く離れた峠の宿で、鐘の声など聞えやうが無い。こつ/\と石を載せた、板葺屋根も、松高き裏の峰も、今は、渓河の流れの音も寂として、何も聞えず、時々颯と音を立てて、枕に響くのは山颪である。
 蕭殺たる此の秋の風は、宵は一際鋭かつた。藍縞の袷を着て、黒の兵子帯を締めて、羽織も無い、沢の少いが痩せた身体を、背後から絞つて、長くもない額髪を冷く払つた・・・

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