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夏目 漱石

「永日小品」より「下宿」

読み手:榎本 美智子(2018年)

「永日小品」より「下宿」

著者:夏目 漱石 読み手:榎本 美智子 時間:8分2秒

   下宿

 始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二磅の宿料を払って、裏の部屋を一間借り受けた。その時表を専領しているK氏は目下蘇格蘭巡遊中で暫くは帰らないのだと主婦の説明があった。
 主婦と云うのは、眼の凹んだ、鼻のしゃくれた、顎と頬の尖った、鋭い顔の女で、ちょっと見ると、年恰好の判断ができないほど、女性を超越している。疳、僻み、意地、利かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに弄んだ結果、こう拗ねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。
 主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い眸をもっていた。けれども言語は普通の英吉利人と少しも違ったところがない。引き移った当日、階下から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない・・・

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