梅崎 春生 作 蜆読み手:齊藤 雅美(2025年) |
その夜僕も酔っていたが、あの男も酔っていたと思う。
僕は省線電車に乗っていた。寒くて仕方がなかったところから見れば、酔いも幾分醒めかかっていたに違いない。窓硝子の破れから寒風が襟もとに痛く吹き入る。外套を着ていないから僕の頸はむきだしなのだ。座席の後板に背筋を着け、僕は両手をすくめて膝にはさみ眼をしっかり閉じていた。そして電車が止ったり動き出したりするのを意識の遠くでぼんやり数えていた。突然隣の臂が僕の脇腹を押して来たのだ。
「何を小刻みに動いているんだ」
とその声が言った。幅の広い錆びたような声である。それと一緒にぷんと酒のにおいがしたように思う。
「ふるえているのだ」と僕は眼を閉じたまま言い返した・・・