上村 松園 作 母への追慕読み手:坂井 あきこ(2025年) |
父の顔を知らない私には、母は「母と父をかねた両親」であった。
私の母は二十六の若さで寡婦となった。
人一倍気性が強かった。強くなければ、私と私の姉の二児を抱いて独立してゆけなかったからである。
母の男勝りの気性は、多分に私のうちにも移っていた。
私もまた、世の荒浪と闘って独立してゆけたのは、母の男勝りの気性を身内に流れこましていたからなのであろう。
母が若後家になった当時、親戚の者が母や私達姉妹の行末を案じて、
「子供二人つかまえて女手ひとつで商売もうまく行くまい。姉のほうは奉公にでも出して世帯を小さくしたらどうか」
「もう一ぺん養子をもろうたら――」・・・