夏目 漱石 作
読み手:水野 久美子(2025年)
根津の大観音に近く、金田夫人の家や二弦琴の師匠や車宿や、ないし落雲館中学などと、いずれも『吾輩は描である』の編中でなじみ越しの家々の間に、名札もろくにはってない古べいの苦沙弥先生の居は、去年の暮れおしつまって西片町へ引き越された。君、こんどの僕の家は二階があるよと丸善の手代みたように群書堆裡に髭をひねりながら漱石子が話していられると、縁側でゴソゴソ音がする。見ていると三毛猫の大きなやつが障子の破れからぬうと首を突き出して、ニャンとこちらを向きながらないた。
あの猫はね、こっちへ引きこしてきてからも、もとの千駄木の家へおりおり帰って行くのだ・・・
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