大阪 圭吉 作
読み手:水野 久美子(2026年)
一
品川の駅で、すぐ前の席へ、その無遠慮なお客さんが乗り込んで来ると、クルミさんは、すっかり元気をなくしてしまった。
「今日は、日本晴れですから、国府津の叔母さんのお家からは、富士さんがとてもよく見られますよ」
お母さんからそう聞かされて、喜び勇んでお家を出たときの元気はどこへやら、座席の片隅へ小さくなったまま、すっかり悄げかえって、窓越しに、うしろへ飛び去って行く郊外近い街の屋根々々を、ションボリ見詰めつづけるのだった。
東京駅発午前八時二十五分の、伊東行の普通列車である。
その列車の三等車の、片隅の座席に、クルミさんは固くなって座っているのだ。
日曜日で、客車の中には、新緑の箱根や伊豆へ出掛けるらしい人びとが、大勢乗っている・・・
Copyright© 一般社団法人 青空朗読. All Rights Reserved.