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山本 周五郎

日日平安

読み手:つかさ(2022年)

日日平安

著者:山本 周五郎 読み手:つかさ 時間:1時間48分54秒

   一

 井坂十郎太は怒っていた。まだ忿懣のおさまらない感情を抱いて歩いていたので、その男の姿も眼にはいらなかったし、呼ぶ声もすぐには聞えなかった。三度めに呼ばれて初めて気がつき、立停って振返った。
 道のすぐ脇の、平らな草原の中にその男は坐っていた。松林と竹藪に挾まれたせまい草原で、晩春の陽がいっぱいに当っている。浪人者とみえるその男は、坐って、着物の衿を大きくひろげて、蒼白く痩せたひすばったような胸と腹を出していた。月代も髭も伸び放題だし、垢じみた着物や袴は継ぎはぎだらけで、ちょっと本当とは思えないくらい尾羽うち枯らした恰好である・・・

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